管対協の歩み

京滋マンション管理対策協議会は、1981年12月、20マンション・3,657戸の加盟で発足し、これまでの京滋管対協の歩みを4つの時期に分けて紹介します。

第1期 草創期(1981年~1985年)

京滋マンション管理対策協議会(以下、管対協)発足の直接のきっかけになったのが、1981年8月に開催された「マンション管理とコミュニティを考えるシンポジウム」です。このシンポジウムは、マンション問題に関心を持つ専門家と8つのマンション管理組合の呼びかけで開かれたもので、当日は、250人以上の参加で会場はあふれかえりました。当時の管理組合は瑕疵問題など、多くの問題を抱えていたのです。

閉会後も残った人々を中心に準備会が結成され、同年12月12日、京都教育文化センターにおいて設立総会が行われました。設立時は、20マンション・ 3,657戸の加盟でスタートしました。

発足後、管対協は、会員マンション実態調査を実施し、建物部会、規約部会などの部会活動も活発に行われました。また、「マンション問題研究会」の専門家を中心に、建築士の派遣や弁護士による法律相談などを行う「管対協コンサルタント」制度が設立されました。この制度は、現在も管対協の管理組合支援活動の柱となっています。

当時は、管理組合団体としての前例がなく、手探り状態で活動してきました。また、83年の区分所有法の改正をきっかけに全国の他の管理組合団体との交流が芽生えました。

第2期 自立期(1986年~1990年)

86年4月、京都に全国各地の管理組合団体が集まり、全国マンション管理組合団体連絡協議会が発足しました。設立時は、7団体、564管理組合・12万戸でした。初代会長には、管対協代表幹事の梅田純一郎氏が就任しました。

大規模修繕工事は、管理組合が主体となって進めるものであるという基本的な認識の上で、「管対協方式(管理組合主体方式)」がつくられていきました。また、大規模修繕工事の見学会が毎年開催されるようになりました。

会員マンションの暴力団入居問題をきっかけに「管対協・仲介業者推薦制度」がつくられ、88年4月からスタートしました。

また、組織が大きくなったことや問題の多様化などを背景に、より参加しやすく、共通の課題や問題が設定しやすい近隣地区ごとの集まりである「地区集会」を開催することもはじまりました。管理組合団体というネットワーク組織を活かした地区集会の取り組みは、現在も各地域ごとに盛んに開催されています。

第3期 発展期(1991年~1995年)

91年9月にオープンした「ハウ・メッセ京都」は、京都市が住情報交流拠点で、その中の「マンションコーナー」の企画・運営等の全てが京滋管対協に任せられました。 米国の集合住宅の団体であるCAIとの交流を通じて、良好な管理を実現していくために管理組合と企業とが共通の利益を見いだすことが必要であることを教えられました。そうした協力関係を表す「パートナーシップ」という考え方は、その後の京滋管対協の活動の発展につながる基礎となりました。

「ハウ・メッセ京都」を通じて関係をもつようになったマンション関連企業とは、率直な意見交換を行い、既存システムや技術的問題などを改善する取り組みにつながっていきました。「ハウ・メッセ京都」オープンにあわせて、企業やコンサルタントで改修工事研究会が始まりました。現場での問題や管理組合からの批判・要望、技術的課題も検討してきました。現在までに70回以上の開催を数えています。「管理組合主体方式」の発展のための重要な研究会であり、「パートナーシップ」の実践の場ともなっています。

94年に管対協標準管理規約改訂版が発行されました。85年発行のものを大幅に改訂したもので、様々な細則、書式、解説文を掲載したわかりやすい管理規約となりました。多くのマンションがこれに基づき管理規約の改訂作業を進めていくようになりました。

95年1月17日の阪神大震災で多くのマンションが被災しました。京滋管対協では、チェックリストの配布など、会員マンションへの支援活動を行いました。また、被災地の神戸で、全国マンション管理組合連合会や日本マンション学会による相談会が開催されました。

第4期 充実期(1996年~)

被災マンションへの支援活動は、被災マンションの居住者が結成した「被災地クラブ」への支援活動や行政の支援がなかった補修による復興を目指したマンションへの専門家の派遣、パートナー企業の紹介等を行いました。

復興に関わった経験は、その後、区分所有法改正や建替え円滑化法などの法制度改革への働きかけの際に活かされることになりました。

96年に京滋管対協の事務局を担っていた住生活研究所から「マンション管理組合テキスト」が出版され、これをテキストとして、木曜セミナーが開催されました。京滋管対協の会員以外にも呼びかけ、市民向けの定期的な学習の場として開催されている木曜セミナーは、一時、中断もありますが、根強い人気をもつ市民講座として定着してきています。

98年12月に市民団体が比較的簡便に法人格を得ることができるNPO法が制定され、これに基づき、京滋管対協は、京都府より00年5月に認証を受けました。現在、NPO法人は、全国で2万を超える数となっていますが、京滋管対協が認証を受けた当時は、まだまだNPO法人の数は少ない状況でした。

91年にオープンした「ハウ・メッセ京都」が、99年3月に閉鎖されました。京滋管対協では、これに替わる住情報拠点を独自に設置することとし、99年9月、「マンションセンター京都」を設立しました。住生活研究所に所属していた専門家や京滋管対協役員経験者らを中心とした個人会員や60社以上の協賛企業を組織するマンションセンター京都は、00年にNPO法人格を取得し、行政からの委託事業を実施するなど、活動領域を広げています。

00年6月の衆議院総選挙前に初めてマンション問題をテーマにした政党討論会を開催しました。翌年の参議院選挙でも実施し、その後も区分所有法改正や国政選挙の時期に政党討論会を開催し、マンション居住者の声を政策に反映させるための取り組みを行ってきています。また、00年8月から「京都市民マンション懇話会」を行い、そこで出された政策提言が、京都市住宅マスタープランに反映されました。

マンション管理適正化法、建替え円滑化法制定、区分所有法改正と立て続けに行われたマンション関連法制度改革の中で、京滋管対協は、積極的に発言をしてきました。
経済・社会情勢が大きく変化する中にあって、京滋管対協の社会的役割はますます大きいものになりつつあります。 「楽しい管理組合を作ろう! 賢い区分所有者になろう! 新しい地域コミュニティを作ろう!」 京滋管対協は、常に理念の実現に向けて、活動しつづけていきます。